by テキサスひらめ カテゴリ
全体 Texas/Austin Austin日本人会 Austinで食べる Texasの女 家族&Americanオヤジ Geekとの結婚・婚活 ART 読む書く トホホの英語と語学一般 テキサス大学芸術学部 UOオレゴン大学 TUMミュンヘン工科大学 USNA米国海軍大学 政治・教育 Covid-19コロナウィルス 旅 フットボール 悲喜叫興の日々 Ohio/Dublin/Columbus シンガポール滞在記 ミュンヘン孫守り記 シカゴ探検 未分類 最新の記事
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 more... フォロー中のブログ
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
タグ
家族(177)
アメリカ社会(175) Austin 界隈・イベント(131) 旅(91) 英語、その他語学一般(66) 私の大学生活(62) Food(59) 政治(54) 子育て(48) 美容・健康(44) カロリー計算によるダイエット(40) 映画・TV(39) 本(39) スポーツ(37) Americanオヤジ(34) 教育(22) Art(22) ファッション(20) Austinレストラン(18) Startup(18) 断捨離(12) シンガポール(10) Austinとも子の会(9) アメリカ版人生相談(8) アメリカ大学(7) #コロナウィルス(6) Covid-19(4) テキサス大学(4) 詐欺(3) トップ1%(3) ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
今からもう30年以上も前、働いていた時によく旅行をした。マダガスカル、セネガル、モーリシャス、イランなど、ちょっと行きづらい場所にはあみちゃん、みなちゃんと行った。そういう場所では予期せぬことが起きて二人は戦友という感じもした。その後、それぞれの生活が忙しくて、お互いに連絡することも難しかったのだが、それが先月、みなちゃんが電話をくれた時に、
「3月にあみがニューヨークに行くわよ、ご主人の退職祝いに。それで、彼女、Met のオペラを見に行くんだと言っていた」と、あみの予定を知らせてくれた。 「あら、それなら、ちょっと会いにいこうかな」 「あなた、オペラ、見に行きたい?」 「勿論、チャンスがあれば行きたいわ」 「それなら、あみに私が連絡をするわ」 「?」 「彼女、自分とご主人のために、彼には相談しないままMetの切符を取ったらしいんだけれど、彼は『俺はやだよ、あんなもの、行かないよ。あの、不自然な声が嫌いなんだよ』って。切符を捨ててしまうのはもったいない。それに一人でオペラに行くのもなんか、イマイチと言っていた」 「それじゃ、あみに言っておいてよ、切符が余っているなら、私が行くからって」と、いうわけで、とんとん拍子に話が運んで、3月2日にあみとご主人が日本から、私がオースティンからJFKに飛んで、ヒルトンホテルで落ち合った。 たまたまホテルのフロントのお兄さんがオースティン出身かで、話が盛り上がって、先にチェックインしたあみたちのすぐ傍の部屋をアレンジしてくれたのは助かった。 私は午後3時ごろにJFKに着いたのだけれど、おんぼろSuper Shuttle Busを空港からホテルまで使ったために、ヒルトンホテルに着いたのは2時間後だった。道が混雑しているのは覚悟していたけれど、マンハッタンに入ってから、6人の同乗者を先に降ろしていったたために、East - North - West - Riverside - Midtownと回って、とんでもない時間を費やしてしまったのだ。Midtownに先に行くと、混雑から出られなくなるというのだが、どこから降ろし始めても同じ気がした。同乗者のおじさんが運転手に「トンネルを通ったほうが早ければ、料金を負担してもいいけど」というと、わかりずらい英語で「どの道を通るかは様子をみて俺が決める」と言い返した。タクシーは一律に45ドルで、このSuper Shuttleは19ドルだから、つい、安いほうにとしてしまった。誰か一緒に旅行する人がいるなら、絶対、タクシーにすべきです。 部屋に入って、荷物を放り出して、あみに電話をすると、待ってましたとばかりに、勢いいい返事。すぐに、会いに行って30分くらいはご主人の存在も無視して(ごめん!)近況を知らせ合う。もう、何十年も一緒に旅行したことなんかないのに、あっという間に昔のペースを取り戻して、ざっと予定を確認してから、ヒルトンホテル近くの中華レストランに行くことにした。オペラに興味のないご主人は食べることに対しては情熱があり、しっかりと候補を探し出してくれていた。(穴居人のわが夫も同じ行動を取る)それはJoe's Shanhaiというレストランだった。 さすがに日本の雑誌に掲載されただけあって、若い日本の旅行客がひっきりなしに出入りしている。席に付くと、メガネの中国人のお兄さんが、 「ノミモノ? ビール? お茶?」と日本語で聞くから 「ビールとお茶」と答えると、りすみたいに顔を振って消えて、さっとノミモノを運んできた。その後、メニューを見て討議している私たちに、 「ショーロンポー? How many?」と聞く。日本人がショーロンポーを頼む確率は100%と思っているようだったけれど、それは正解でやっぱり、私たちも、かにのショーロンポーを頼んだ。おいしかった。もう一度食べたい。 食事を終えてホテルに帰って、あみと私はおしゃべりを再開。彼は「部屋でウィスキーを飲んで、寝る」と言っていた。旅行のこと、子育てのこと、次から次に話はつきない。 別れて、ベッドに入って寝ようとすると、若い頃の日々が思い出されて寝付けない。ダカールのメリディアンホテルから一番近いバス停まで歩いて、混み合ったバスに乗りこむ。バオバブの生える平原を抜けて市内に入るとタクシーや二人乗りのバイクが騒々しく通り過ぎて行く。「ここで、降りて見ようか?」と三人あてずっぽうに降りると、紫や緑色の布を長いワンピースのようにふわりと被って、頭を同じ布で巻いた大きな女の人たちが、ゆっくりと姿勢よく歩いていく。スーパーモデルのようだ。 大きな広場では小さなトマトやジャガイモを小山のように積んで、お客を待っている人、手作りの籠を売る人、小さなビジネスをする人たちで一杯だ。私たちが近寄っていくと、その人たちの大きな黒い目が一斉に私たちに注がれる、珍しい動物でもみつけたように。あのマーケットはダカールではなくて、マダガスカルのタナナリブかもしれない。記憶が朦朧としてくると同時に深い眠りに引き込まれたようだ。翌日8時近くまでこんこんと眠り続けた。
by tomokoh9T
| 2011-03-06 16:11
| 旅
|
ファン申請 |
||