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テキサスに住んでいるので、日本の家族や友達とちょこっと会ってくる、ということができない。それでも、そこに行かれさえすれば懐かしい人たちに会えるという希望があって、また、そういうぽっとあたたかいものを持てることが嬉しい。でも、田村さんとはもう会えない。
そうは分かっていてもやっぱり会いたいのでずっと前のアルバムを探してみた。 若きプレスクラブのメンバー勢ぞろいのこの写真は何時頃のものだろうか。本当はメンバー全員の了解を得てから載せるべきなのだろうけれど、もともと古い小さい写真をスキャンしたので誰が誰かはメンバーにしか分らないだろうと、世界中の人が見ても困る人はおられないだろうと勝手に決めてしまった。私はまだ、文字通りひらめのように行く手定まらず、ゆーらりゆーらりしていたころだろう。1984,5年位のものかもしれない。もっと前かもしれない。きみちゃんの囲炉裏、当時の塩野亭、柿の木坂の中将宅の居間(ひらめ居候亭)を含めてあの頃集まった場所を思い出すときりがない。 そういう時、たいてい金太郎みたいな真っ黒い、太い眉をぴくぴくさせながら「今日も可笑しな話を20くらいは用意してきたでー」という風に田村さんが座の中心でいたずらっ子のようにしておられた。「闘病生活中もずっと病院の人気者だった」と樋口さんが教えてくださったが、きっと看護婦さんたちを笑わせて喜ばれていたのだろうと思う。どうでもいいことでも彼が話すと可笑しく聞こえるのが不思議だった。オチまで持っていくのを待てないというようにその前にくると首をひねって笑う準備をするのがオチが近いサインだった。最後にお会いしたのはいつだっただろうか。ヨチヨチ歩きの英理香を連れてデイヴと一緒に京都に訪ねて奥様と一緒に湯豆腐をご馳走になった時だろうか。二年前くらいになるかな、岡山にいらした田村さんとあれこれ電話で話したけれど、何を話したか大方のところは忘れてしまった。けれども忘れられずに今でもはっきりと残っているやりとりがある。 「ひらめは白髪あるかー」 「うん、ちょっとだけね。前の方に」 「白髪はいいでー」 「そう?」 「そう、白髪はきれいやでー。白髪染めたらあかんでー」 「わかりました」とあっさり返事をしたのか、「どうして?」と、そう考える理由を田村さんから聞いたのかそのあたりの事は思い出せない。子供のように「嫌なものはいやだ、好きなものは好きだ。それだけだ」という事だったかもしれない。 「風になりたい」と希望をされた田村さんの風がここまで吹き届いているかもしれないと自分に言い聞かせてみる。でも、「のりちゃん(田村夫人)がありがとうと最後にそっとはなしかけていた」という原田さんのメイルを思いだす度に涙が出てくる。
by tomokoh9T
| 2007-11-22 08:47
| 悲喜叫興の日々
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