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30年以上も会っていなかった友達と会うことができて、インターネットの意味、網のように繋がり合ったったネットワークの素晴らしさを改めて感じた。それがなければ友達がオースティンまで会いに来てくださることもなかっただろうと思う。
友達のハチが「今日がラストデーです」と退職を知らせるEメイルを送ってくれたのが4月15日。「おめでとう、ごくろうさまでした!」とメイルを返した。 数日してハチは航空会社で同期入社(私も)の吉川さんとランチをしてセンチメンタルジャニーの計画を聞いた。1969年から吉川さんのご主人はテキサスのサンアンジェロで小型飛行機の設計に携わっておられて、その砂漠の真ん中みたいな所に彼女もお嬢さん二人を連れて暮らしたのだと言う。そして、この度30年以上も見ていないその地を再び訪れてみようと突然話がまとまった。「テキサスならひらめが住んでいるわよ」とハチが言って、 25日に「同期の吉川さんがテキサスに行くらしいけれど、ひらめのメイルアドレスをあげていい?」と聞くので、「もちろん」と返した。 27日に吉川さんからメイルが送られてきて、「ずっと会っていないけれど覚えている?」「もちろん、ハチから話は聞きました。テキサスに来られるなら、是非、オースティンの我が家に来てください」とやりとりがあって、 最終的な旅程が5月3日に決まり、 5月9日にご夫妻は成田からセンチメンタルジャーニーをスタート。15日の木曜日にサンアントニオから2時間半かけて我が家に会いに来てくださった。 合ったと途端に、30数年の時が折りたたまれて、 「元気?どうぞ、こちらに」「それがもう、びっくりしちゃって、ハチやネギからはよく話しは聞いていたのよ」「サンアンジェロって聞いた時には思わずサンアントニオの間違いじゃない?ってハチに言ったのよ」、、、、傍でご主人がにこにこ笑っておられる。改めて挨拶をして、再び、みどりちゃんが、むつみさんが、さゆりちゃんが、大賀君が、と長いこと会っていない友達の話をして一息つく。退職後、週に何度か外語学院で教えている人、年に何回かは必ずパリに行く人(テキサスまでは来ないよなー)、同業他社の重役夫人に納まった人、様々だけれども同期の人や一緒に働いた誰もが元気らしい。 「アメリカの中南西部は日本人の意識からすっぽり抜けてしまっているけれど、子供もいたし、若かったこともあって毎日が楽しくて私はテキサスって大好き」と吉川さん。お嬢さんが当時通ったAnjelo State Univ の付属幼稚園は今がなくなってしまっていたけれど、69年にご主人が一番初めに住んだアパートはまだそのままあった、と彼女が続けると、 「そこから出てきた男の人に69年に私はここで暮らして、懐かしくて日本から見に来たんだと話たんですよ」と、ご主人も加わった。そして「あの頃はシナ飯(中華レストランじゃなくて)を食べたかったらここまでドライブしなくちゃいけなかった」と広げた地図を指差して懐かしそうで、また何だか嬉しそうだった。 そうだろうなあ、今だってオースティンを出て、ヒューストンに行くまでの道のり、人口350人などという立て札のある町には速度制限の標識以外は何も無い。町が少し大きくなるとDairy Queenというチェーンレストランにお目にかかれる。そこから又少し大きくなるとマクドナルドや地元の人がやっているメキシコレストランがあって、その上に中華レストランが出てくる。 オースティンだって1990年に私たちが来た当事は何もなくて(日本食という意味)、お寿司を食べたかったらベニヤ板で窓を囲って中を見えなくしていた(泥棒避けのため?)日本食料品店にお刺身を頼んで(月に一回)手巻き寿司を自分でするくらいだった。それが、今ではスーパーやCostcoでパックに入ったお寿司が買えるし、パーティーでちっちゃな白人の子供が寿司をつまむようになったのだ。変わったものだ。90年で、州都のオースティンですらそのような状態だったわけだから、その又、20年前だとしたら中華レストランだって見つけるのは難しかったのではないだろうか。ヒューストンなら話はべつだけれど。 お昼ごはんを食べて、その後、州議会ビルとWhole Foodsという私の大好きな大規模オーガニックフーズのスーパーに案内した。吉川さんも喜んだけれど、ご主人も結構興奮しておられた。彼女によると、一人暮らしをしたこともあるご主人はアメリカのスーパーが大好きなのだそうだ。お土産を買って、我が家に戻ってコーヒーを飲んで一息いれると、もうお二人が帰る時間になってしまった。 近い将来、再びテキサスで、又は日本での再会を約束して別れた。 テキサスはそんなに遠くじゃないですよね、吉川さん。
by tomokoh9T
| 2008-05-17 14:41
| 悲喜叫興の日々
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