![]() by テキサスひらめ カテゴリ
全体 本と映画Texas Hirameサイト ブログによく登場する人 Americanオヤジ Geek(オタク)との暮らし方対策本部 Ohio/Dublin/Columbus Ohio/Dublinで食べる Texas/Austin Texasの女 Austinともこの会 ART Austinで食べる オハイオからテキサスへの引越しとドライブ 会社をやる 読む書く トホホの英語と語学一般 テキサス大学芸術学部 TUMミュンヘン工科大学 UOオレゴン大学 USNA米国海軍大学 健康・美容 旅 ファッション・買い物 フットボール 悲喜叫興の日々 シンガポール滞在記 未分類 最新の記事
以前の記事
2017年 11月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 01月 2016年 12月 more... フォロー中のブログ
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
タグ
家族(163)
アメリカ社会(145) Austin 界隈・イベント(98) 旅(82) 私の大学生活(62) Food(52) 英語、その他語学一般(51) カロリー計算によるダイエット(43) 美容・健康(37) スポーツ(35) 映画・TV(35) 子育て(32) 本(32) Americanオヤジ(27) 政治(26) Art(20) Startup(17) ファッション(15) 断捨離(11) シンガポール(9) ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
テキサスの南の先っぽ、ガルベストンに9月14日から4日間滞在した。浜辺のホテルに泊まったのだが、目的は観光ではなくて石油掘削業者の団体IADC( International Association of Drilling Contractors) のカンファレンスに出席するためだった。何故、今頃石油関係に首を突っ込むのか。ディヴがそこでスピーチをする事になっていたので、一緒にひゃらひゃら着いて行くだけでなく、ちゃんと登録を済ませて本気で業界を勉強しようと思ったのだ。
300人近く集まった石油掘削関係の方たちは年齢が比較的高く(そういう私も人の事は言えない)後ろから見ていたらグレヘアーとノーヘアーの人が殆ど。その時の模様はこちらで。 会場はMoody Gardens Hotelで、9階から外を眺めたら、ピラミッドがくっきりと見えた。 ![]() 20年前に初めてここを訪れた時には確か、レインフォレストのピラミッドしかなかったと思う。3人の子供たちは7,5、3歳だった。 アクアリウムの前のベンチに座って植物園の方を見渡すと何種類もの椰子の木が目に入った。 ![]() ![]() 世界のいろいろな場所にピラミッドがあるけれども、ここガルベストンのピラミッドはハリケーン級の風雨に耐えられるようにという実利的な理由でその形が選ばれたらしい。
■
[PR]
▲
by tomokoh9T
| 2014-09-22 16:12
| 旅
|
Comments(2)
日本の夏は金鳥の夏。線香花火、蚊取り線香、夕涼み。
オースティンの夏は観コウモリ。日が暮れると市民はタウンレイク(Lady Bird Lake)にかかるコングレスアベニューの橋の上で涼を取るために集まる、というか、コウモリを見るために集まる。写真の空に撒かれた黒ごまのような点々はコウモリで、プレーリードッグの勢揃いのように見えるのは人間です。 「すげーっ」と感心している人間の頭上めがけてシャワーを浴びせることがあるらしい。写真撮影したとしこさんは「二回くらい上から水分が落ちて来た」と報告している。 コウモリたちは橋を巨大アパートと見立て、橋の下の窪みを各々の住処にしている。その数は75万から150万匹にも達し、都会に住むコロニーとしては世界最大級と言われている。夕暮れになると、誰が合図をするのか一斉に飛び立って夜のお仕事に出かける。自らの腹を満たしつつ、オースティン周辺の虫を駆除するのが彼等のお仕事だ。 ズバリ、エコフレンドリーな巨大金鳥のような蚊取り隊。一匹のコウモリは一時間に1000匹くらいの蚊を含む虫を食べてくれると言う。 橋の上で見るだけでなく観光船を仕立てて橋のすぐ下まで行って、そこから飛び立つのを見る、近くのホテルのバーでマルガリータを飲みながら見る等々、いろいろな観コウモリの仕方がある。 オースティンの夏も、金鳥の夏。 ■
[PR]
▲
by tomokoh9T
| 2014-08-17 22:59
| Texas/Austin
|
Comments(0)
disneyfyという英語がある。
ディズニー化する。あのディズニーから派生した言葉だ。disneyfied, disnifying, disneyficationなどの動詞の変化、名詞がある。 フツーの人々によって徐々に有機的に無秩序に形成されたコミュニティーは無計画だったり、調和が取れていなかったり、見苦しかったりする。行き止まりの曲がりくねった通りがあったりもする。ところが、ディズニー化された空間やコミュニティーは先にテーマを決めて計画的に一気に造成されるため美しい。醜さや不便さの入り込む余地がない。でも、つまらない。 disneyfiedされた商業空間にはホームレスの人やお金をくれと手を出す人が存在しない。胡散臭さゼロ。奇麗にしていてお金を持っていそうな人ばかりがお茶を楽しんだり、買い物を楽しんでいる。 シリコンバレーの中心地、パロアルトのスタンフォードショッピングセンターを歩きながら「ディズニー化」という言葉を思い出していた。夏のテキサスで見る事の難しい花が咲き誇っていたので、それに感動はしたけれども、お店はアメリカ、いや、発展国のどこに行ってもあるような、Nike, Banana Republic, Louis Vuitton, Burberry というようなモノばかり。ディズニー化されたショッピングセンターには、高いリース料を払える安定した巨大企業しか店を出せないのだろう。今ここでしか買えない/買いたいと思わせるものがない。ディズニーの世界には挑発、個性的、刺激的は似合わない。 こういう場所には肥満体のお客さんはあまり来ないためか、もさっと見える大きめサイズを並べている、Coldwater Creekというお店は閉店セールをしていた。そう言えば家の近くにあるArboretumでも店じまいをしていた。 ■
[PR]
▲
by tomokoh9T
| 2014-08-09 17:44
| ファッション・買い物
|
Comments(2)
去年の夏、オレゴンの友達夫妻がオースティンの私たちを訪ねてくれた。その返礼に今年は私たちが訪れた。
Eugene(ユージン)はオレゴン大学一色の町だ。
長男のタイがオレゴン大学を中退して家に帰ってくる時に迎えに行って、もう二度とこの町に戻る事はないだろう、と原っぱのローカル空港で淋しくポートランド行きの飛行機を待ったことを思い出す。今回はサンフランシスコからポートランドまで飛んで、それからレンタカーでユージンまで行った。 暑さの続くテキサスと違って避暑に来ているみたいに気持ちがいい。友達の家は町の中心部から歩いて10分程度、それなのに森の中にいるよう。 黒いトマトが育ち、アーティチョークが花を咲かせていた。 ■
[PR]
▲
by tomokoh9T
| 2014-08-06 18:57
| 旅
|
Comments(0)
San DiegoのLa JollaにあるThe Marine Roomに30年ほど前、Americanオヤジのデイヴは私を連れて行ったことを覚えていなかった。
ライアンが「今夜は歴史のあるレストランに連れて行く」と言った時に、名前は思い出せなかったけれど、すぐに波が窓辺まで打ち寄せるラホヤにあるレストランを思い出して、そう言うと 「行った事はないけど、そういう場所にあると思う」と応えた。 「行った事があるのよ、パパと一緒に結婚する前に」 デイヴは覚えていなかった。そこに着くと「そんな気もする。僕はHotel del Coronadoの思い出の方が大きくて」と言った。 予約の時間より早めに着いて、ラウンジでカクテルとアペタイザーを頼んでテーブルを待った。メニューにはShishito( しし唐)、kurobuta(黒豚)、honshimeji(ほんしめじ)などを使ったアペタイザーがリストされていて、70年の伝統を誇るアメリカのレストランにも日本食の浸透を見た。30年前にはありえなかった。 それにも増して、その同じ場所で当時のデイヴとあまり変わらない年の自分の子供と一緒に食事をするのが非現実的に思えた。 23歳の彼は、その前日の夜Mission Bayの「寿司太田」に連れて行ってくれた。人に聞きまわったら、「絶対あそこに行け」と言われたらしい。後で知ったが日本人の間でもとても人気があり、店の前にはテーブルを待つ人が溢れていた。何の飾り気もないショッピングセンターの一角にそのお店はあるのだが、本物の寿司やさんで、ライアンが講釈してくれたウニは絶品だった。 翌日はブランチを泊まっていたThe US Grantの近くのCafe 21で。実はこのあたり、ホームレスの人々がいて、外で食事をしているお客さんに「ちょっと、小金を恵んでくんない?」と近づいてきたりする。その度にお店のマネジャーのような人が「あっちへ行け」とハエを追い払うようにしていた。食べきれないクレープを包んでやりたいような気持ちがしたが、そうする事はできない。 それに彼等はお金が欲しいのであって、食べ物を恵んでもらおうとはしていないのだ。気候がいいせいか、ホームレスの方々、或は好意を頼みにする方々は伸び伸びしていて、ガスランプを歩いているフツーの人と見分けがつかなかったりする。 この他、海軍基地のすぐ傍の「みすぼらしい所だけれど、ブリトーがとびきり美味しい」 Mi Rancho Taco Shopにも行った。床がぬめぬめしていて、ハエも飛んだりしているが、メキシコ系らしい人が沢山いるのは「本物」の場所に違いない。 私はブリトーを食べるほどお腹が空いていなかったので、シュリンプタコと、何やらココナツがベースみたいな飲み物を頼んだのだ。が、実は中華丼に入った真っ赤なスープにも興味があった。魑魅魍魎の雰囲気で何が入っているのか分からない闇汁。 「試してみたらいいのに」とデイヴとライアンに進められて、一瞬、オーダーしようとしたが、お腹のほうがうんと言わなかった。 この二日後の夜、ブラジル・ステーキハウスで食事をしているとライアンは 「お腹の調子が悪いので家に帰る」と慌てた様子で出て行った。もしかすると、あの、でかいブリトーに祟られたのかもしれない。 飛行機が空港に降りて行くのが見えるパブというか、ビール醸造所Ballast Pointで、どでかいオニオンリングを食べたのはブリトーを食べたのと同じ日だったか。 この時には海軍大学の親友も加わって、真面目な顔で仕事の話をしていた。 ■
[PR]
▲
by tomokoh9T
| 2014-08-06 00:57
| 旅
|
Comments(0)
やっと休暇が取れた息子に会いにサンディエゴに行ってきた。 ![]() 椰子の木が見える空港から市内まで、車で15分くらい。飛行機が高いビルの間を縫うように離着陸している。 半年振りに会ったライアンがダウンタウン、それもクラブやレストランの集まる、ガスランプ近くのアパートでどんな生活をしているのか興味があった。若い男の人たち(23歳二人と20代後半一人)が借りているアパート。 デイヴが何十年も前にUC San Diegoに通っている時にはダウンタウンは胡散臭い場所だったらしい。 オースティンの6th Streetもそうだが、サンディエゴのガスランプ付近は古い汚い低層の建物をヒップな雰囲気を残しながら改装している感じがした。 アパートの窓から外を眺めたみた。 若い男三人が住むアパートはコンクリート打ちっぱなしで配管をそのままアクセントにしている美術館みたいな空間だった。デコレーションは台所の棚に並ぶ酒のボトルとアメリカの国旗のみ。 私たちが泊まっていたThe US Grantは彼のアパートから歩いて7、8分。夜、その間を往復すると、つんのめりそうなピンヒールを履いて、マイクロミニのボディコンドレスを着て通りを歩いている女の子たちに何人も会った。彼女たちはたいてい2,3人で歩いていて、オースティンの女の子より挑発的に見えた。頑張れオースティン、じゃないか。 「この店は夜になるとすごいことになる」 「このすし屋は値段ばっかり高くて不味い」 「このピザ屋は夜遅くに仕事から帰ってきてもオープンしていてありがたい」 と、歩きながらライアンが説明する。 食べることが好きな彼は初日から最後まで、どこに私たちを連れていくか予定を立てていた。 親たちは「こんなアパートに住めたら楽しいね」と頷き合ったが、若い男たちは仕事が忙しくガスランプに出かけて行く時間もあまりなくて、美術館みたいなアパートは寝に帰るだけみたいだった。寝室が3つのアパートを出て、今月から一人暮らしをするらしい。 ■
[PR]
▲
by tomokoh9T
| 2014-08-01 20:54
| 旅
|
Comments(0)
7月5日の土曜日にはミュンヘンを離れて神戸に到着ですね。行く前に、フェースタイムで元気そうな顔を見られて安心しました。
国と状況は異なるけれども、ずうっと前の私自身、25才の夏を思い出しました。働いていた日本の会社が3ヶ月ニューヨークの支店で現地社員と一緒に仕事をするように私に命じたのです。 暮らし方、ビジネスのやり方も今と比較すると単純でスローペースでした。PC以前の世界。電話が主要ツールでインターネットの登場など誰が想像したでしょう。1ドルは360円。パスポートのページに幾ら円をドルに替えたかが記載された、そんな頃です。それでも、流石にニューヨークは違う、と若かったせいもあって驚きの毎日でした。1st Avenueの国連近くのアパートから5th Avenueまで歩いてオフィスに通いました。 現地職員と日本の本社/東京支店との仕事のやり方の違いに驚嘆したのを今でも良く覚えています。
■
[PR]
▲
by tomokoh9T
| 2014-07-01 23:37
| TUMミュンヘン工科大学
|
Comments(0)
「例えばあ、着もしないのにユニクロで洋服をバンバン買うんだよ。買っても着ないで捨てちゃうんだよ。信じられないだろう?」
と、30代半ばと見られるイケメン風の男が連れの男に話している。連れは俯き加減でふむふむと聞いている。その連れの隣に座っていた私は会話に向けて猫のように耳だけ動かした。 5月26日の午後の山手線電車内。 実は私もこの電車に乗る前にユニクロで買い物をしてきたのだ。アメリカに帰る直前にサマードレス、麻のセーター、下着(パンツ)、5本指靴下、パンツ2本、スカーフ、Tシャツ等々。イケメンに言わせるとバンバンと言うレベルで買った。私の場合は彼の奥さんと違って捨てずにぜ~んぶ着るつもり。必需品。それにタイ(長男)へのお土産のステテコも買った。 会話というか、イケメンは奥さんを知る人に不満を漏らしていた。 「ミカ(だったかな、奥さん)はプロモーションされて給料が上がったけど、家計は今までと変わらない。きつきつ」 「マジ~?」 「だって、彼女考えもしないで買い物するんだよ」 「......」 「とにかく雑誌をよく買うんだよ、何冊も何冊も。本は買わない。雑誌ばっかり」 連れの男頷く。 「それに外食が多いから金かかるんだ、自分で作ればいいのにあんまりしないんだよね。材料買って作れば絶対もっと食費が浮くはずだけどな」 と言うのも聞こえてきた。それに着もしないユニクロでのショッピング。 イケメンはミカの行動をよく注意して見ている。無駄を削るべきだと思っている。その思いを言葉にして伝えたのだろうか? ミカはどういう仕事をしているのだろうか?雑誌を何冊も買うのは仕事の為ということはないだろうか?媒体の仕事をしていて、雑誌を読むというよりは、ページをめくって広告を見るだけ。トレンドウォッチをしている。無料の雑誌も回ってくるけれども待てないし、興味あるものはさっさと自分で買ってしまう。 夜遅くまで働いているのかな。疲れて買い物や料理をする元気もないから外食をする。 自腹を切って雑誌を買いまくり、夜遅くまで働いているからこそプロモーションもあったのではないか。 ユニクロでの買い物は気晴らし。もっと素敵なお店でショッピングを楽しみたいのだ、本当は。でも、彼女も家計のことは気になるので、デザイナーブランドのモノを買う勇気がなくて、駅の4階にあるユニクロで「ちょっと可愛い季節のモノ」を買う。 イケメンとミカはきっと細やかな会話を交わす余裕がないのかもしれない。 イケメンは明らかにミカが料理をすべきだと考えている。あなたが想像力・創造力、それに行動力があるのだったら、自分で(安い)材料を買って料理してミカに食べさせて喜ばす位のことしてみてください。 「俺が会社の帰りがけにスーパーで買い物してだよ、ビーフストロガノフとサラダ作って待ってたのに、彼女は会社の近くの和食レストランで食ってきたから腹一杯って食わないんだよ。毎日だよ。やってらんない」と言うような愚痴だったら、 「そーだ、そーだ」と私も同情するけれども。 ミカに「ウィンドウショッピングだけになるかもしれないけど」と言って、グッチのお店に連れて行ってあげたらどうかしら?連れて行ってお店の中に入るのはただですよ。 この先長いこと相手を先生か、頑固オヤジのように見張って諭していくだけでは楽しい結婚生活にはならないと思うのです。想像力と創造力、それに行動力を発揮してください。 などと、ある事無い事を想像して、イケメンに心の中でお願いまでしていた。 ■
[PR]
▲
by tomokoh9T
| 2014-06-06 12:53
| 旅
|
Comments(0)
「や〜ね、ママったらパパみたいになっちゃった」と長女エリカに言われた。
彼女は聞こえるか聞こえないかくらいのひそひそ声でささやくように言った。何が理由で私がパパみたいになっちゃったのかと指摘されたのか良く覚えていない。おそらくヨーロッパ人が見るアメリカ人の行動様式を私の中に見いだしたのだろう。ギャハハなどと大声を立てながら馬鹿なジョークの一つも飛ばしたのかもしれない。 彼女はアメリカ、それも洗練された文化と一光年くらい離れているテキサスを離れてドイツに暮らししているのだが、アメリカ人風のラフなもの言い、大仰な反応などに耐えられなくなったのかもしれない。そういえば、もう何十年も前、イギリス・オックスフォードでドライブの途中お茶に寄った場所では大勢のお客さんがいるにも拘らず、人の声というものがあまりしなかった。格別楽しそうには見えなかったが、人々はひそひそと隣人のゴシップを楽しんだり、家族の問題などを話していたのかもしれない。北ヨーロッパの公共の場というのはそういうものなのかもしれない。 そこへカナダ人の一行がやってきた。突然、静寂が破られてドタドタとハイキングブーツで山から下りて来たという感じだった。でも、明るくて人好きがした。 仕事で日本にきていた彼女と落ち合って去年の秋亡くなった母のお墓参りに行った。会って直ぐに「パパみたいになった」事を言われたので、なるべく大声を立てずに話した。言われて気が付いたのだが、日本では誰もがしっとりとした音で話すのだった。人々が近い距離にいるせいかもしれない。テキサス人に対抗しようと大声を立てる(普通のボリュームで話すと分かってもらうのが難しい)ようになってしまった私は日本人の中では街宣運動員のような耳障りな人になってしまったのかもしれない。 大江戸温泉に滞在中、部屋から温泉に向かうところで、 「お客様、左前です。直してください!」と私の浴衣姿を見て若い女子職員が一大事と言う風に大きな声で指摘した。 そう言えば、浴衣を来ている時に、内側に付けてあるひもがうまく結べなくて(結ぶ筈のひもが見つからない)、変だなと思いながら「まあ、いいか」と帯をその上から結んでいたのだ。この情景をエリカが見たら飛び上がって非難したのではないだろうか。「着物(浴衣)の着方も忘れるなんて信じられない」と言って。 「あっ、この人アメリカから来ましたから」と応じたのだけれど、それまで一緒に日本人のオバさんしてたのだから只の無知なオバさんだった。しかし、「あらっ、ほんとだ。あらやだー、ガハッハッハ」と笑って堂々としていたのは日本人風ではなかったかもしれない。 ■
[PR]
▲
by tomokoh9T
| 2014-06-03 06:18
| 旅
|
Comments(0)
5月14日から2週間程日本に帰った。私のようなテキサスの田舎っぺ(因に英語で田舎っぺは country bumpkinと言います)は陸ガメのようにあたりをきょろきょろして、東京の都会人は真っすぐを見て歩くのだろうと思っていたのだが違うらしかった。
日本に行く前に電話をくれたみなちゃんに言われた。 「あんた、この頃の日本は危ないわよ。駅のプラットフォームの端は絶対歩かないようにね。歩きながらスマホを使ってる人に知らずに突き飛ばされて線路に落ちちゃうかもしれないし、反対にあんたが突き飛ばしちゃうかもしれない」 「わかりました」 本当にスマホに顔をのめり込ませている人が沢山いたので、忠告通りに線路の端っこには行かなかった。5月21日の午前10時40分くらいだったか、山手線五反田駅で電車がストップした。 「この電車は線路安全確認のために少々停止します〜」とアナウンスが流れた。5分くらいすると、 「線路にお客様が転落されましたので、ただ今救助に向かっておりま〜す。お急ぎのところ恐縮ですが、今暫くお待ちくださ〜い」と遅延の説明をした。大半の乗客は驚きもせずスマホに顔を押し付けていた。更に7、8分すると、 「お客様の救助が終了しました。ご迷惑をおかけしました、発車いたしま〜す」と、決まった言い方のように車掌はアナウンスした。 この事を後で友達に話すと、 「自殺もスマホの事故も多いからねー、ニュースにもならない」と日常茶飯事的に話したのでびっくりした。 テキサスだったら、子供が親のピストルを出して遊ぶ(本当はいけないのね。親は罰せられる)うちに間違って遊び仲間を撃ち殺しちゃったりする事故みたいな頻度かもしれない。特異な例を除いて人は驚かない。先月、友人がスマホを使いながら運転していた人に追突されて、新車が使い物にならなくなったそうだ。幸い、彼女は大けがをすることなく済んだが、そういう事故に遭う確率は線路から突き落とされるくらいの確率なのだろうか。 ■
[PR]
▲
by tomokoh9T
| 2014-05-30 20:27
| 旅
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||